株式会社 アオキ建築

株式会社アオキ建築は地域に特化した木造建築を専門とする地域密着の建築会社です。

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02日

東海東南海南海を考慮した都市火災対策

避難場所の安全性が問題になる。安全を求めて避難した場所が被災した場合が多く
安全だったのは22%だった。
大都市は火災に弱く、東日本大震災では東京で35件も発生した。
津波火災も数多く発生した。これは想定外ではない。

1、大槌町の出火例
津波火災が山林火災になる可能性があった。
震災後3日後まで火災が見られた。

2、山田町の火災例
延焼面積が広範囲になるため、津波火災は消火が難しいとされている。
道路による防火軽減の効果がなかった。

3、気仙沼市の出火例
重油による莫大な被害があり、重油タンクの被害が今後問題になってくる。
これは名古屋港も問題になるかもしれない。
流された瓦礫が洋上で火災になり、燃えた箇所の瓦礫に重油が付いていたためである。
重油だけでは延焼しないが、洋上に漂流している木材と重油で火災が拡大し
瓦礫がたまる箇所で火災が発生し延焼し続けてしまう。

4、石巻市の出火例
自動車からの火災が多く見られた。津波直前に運動場に駐車車両が多くあったことが
延焼拡大の原因だと思われる。

5、名取市の出火例
平野部での出火はガスボンベの流失出火が発生の原因で火花に引火した可能性があり
RCの建物に滞留すると火災が拡大する。

6、仙台市の出火例
震災以降の日に出火が数多く見られた。車の電子機器に海水がつき、ショートして火災が発生した可能性がある。

名古屋でも火災対策が必要である。通電火災は東日本大震災ではかなり少なくなった。
基本型は津波によって倒壊家屋自動車多くの可燃物が山高台のふもと等に沿って打ち寄せ火災が発生。
都市近郊平野部型は、基本型に加えプロパンガスボンベや自動車など広大なエネルギーが出火火災拡大に寄与し
比較的な緩やかな津波であっても火災が地震後に継続して出火する。
危険物流出型は、危険物が流失して海上で大規模火災の継続また船や瓦礫が海遊することで湾の周囲に延焼する。

地震防災への教訓 東日本大震災と関東大震災から

震災の防災は人である。地震の予測は不可能であるからだ。
歴史的な災害を明らかにし、その歴史に学び適切な避難をしていたら被害が最小限に抑えられたのではないだろうか。
関東大震災後、大正16年耐震基準が成立し、震災後鉄筋コンクリート造が数多く作られるようになった。
その建物は戦争でも燃えずに残った。耐震化が進んだことで、昭和23年以降の地震災害は被害人数が激減した。
また、過去に38000人が一ヶ所で亡くなっていることがあった。
原因としては周囲が全部火災で全滅し、家財道具の山が火災を大きくしたためだ。江戸時代は家財道具と一緒に移動してはいけない。
という教訓があり、罰もあった。しかし、大正時代は忘れられていたために、このようなことが起こった。
東日本大震災でも都心で同じことが起きた。車で大渋滞。
過去の自然災害は参考になることは明らかだ。
過去の地震災害では名古屋市南区の三菱重工で多く亡くなっている。もともと紡績工場は木造で壁を取り除いてあったためだ。
半田の中島飛行機山方工場でも悲劇が起こった。この建物も同じく紡績工場である。
原因は全て耐震性が問題であり、耐震設計が重要なのだ。

過去の経験は忘れてはいけない。
科学は自然から人間を遠ざける。
地域の自然や歴史を知る努力をする。
震災は自助、共助をまず先に。自助、共助ができない範囲は公助
科学が人間を助けてもらえると思ってはいけない。歴史が唯一の指標なのだ。